
この記事は、管理人しかが作品の世界に浸りながら想像力を広げ、思いをめぐらせながら綴ったものです。素人目線の解釈に基づくため、思い込み、勘違い、間違いなどがあること、あらかじめご了承ください。また、感想はネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。
『DEVS/デヴス』:概要
キーワード
- 難解なテーマ
- 荘厳な映像美
- スローテンポ
- 極秘プロジェクト
- 殺人と隠蔽

イントロダクション

作品の導入部分をまとめてみました
舞台はサンフランシスコのIT企業「アマヤ」。
アマヤの従業員、リリー・チャン。彼女の恋人であり同僚でもあるセルゲイは、社内の極秘部門「デヴス」への異動初日に不審死を遂げる。
「アマヤ」側は自殺として処理するが、納得できないリリーは独自に調査を開始する。調査を進める中で、彼女は会社内に潜む陰謀の存在に気づき始める。やがて疑いの目は、アマヤのCEOであるフォレストへと向けられていく。
評価



データは記事執筆時のものです
IMDb:7.6/10
ロッテントマト
トマトメーター(批評家による評価):82%
ポップコーンメーター(一般視聴者による評価):77%



総じて高評価なのね
難解すぎて私には刺さらなかったです
『DEVS/デヴス』:感想



ここからネタバレ全開の感想です
未視聴の方はご了承のうえお読みください
正直に言うと、『DEVS/デヴス』はわたしが求めていたものとは、ちょっと違う作品でした。
あらすじだけを見ると、『主人公リリーが、恋人&同僚セルゲイの不審な死をきっかけに、勤め先の極秘部門「デヴス」の陰謀を暴いていく』……というSF仕立てのミステリー。
そこは間違いではないけれど、作品の核にあるのは「量子力学」「重ね合わせの原理」「決定論」……という、難解を通り越して理解不能ゾーン。
「いまの気分はSF!」みたいなお気楽モードで、このドラマに挑戦(苦笑)した私は、巨大な壁に跳ね返され、「未熟者め、海外ドラマを語るなかれ!」と戒められたような気持ちになってしまったのが本音です。
そんな視点での感想になること、あらかじめお断りしておきます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
「わかる人にはわかる」の壁
『DEVS/デヴス』が、こんなにもとっつきにくいと感じた理由。
それは、「デヴスという施設が何をしているのか」が、ずーっとぼかされていたからに尽きます。
「まあ、だいたいこんなことなんだろうな」と想像しつつ視聴したわけですが、ちゃんと明かされるのは全8話中の6話目でのこと。
……6話目ですよ。6話目!
引っ張るだけ引っ張った末の種明かし。まったく世界観にハマれてない状態で観ていた私は、途中から「焦れったいな〜」を通り越して「脱落レベル」の飽きに片足突っ込んでました。
テーマが難解なんだから仕方ないと納得すべきかもしれません。
でも、似たようなテーマ(重ね合わせ理論)を扱ったドラマ『ダーク・マター』(感想はこちら)は、それなりに楽しめたことを思うと、やっぱり視聴者に対する誠実さや丁寧さに欠けてたんじゃないかと思えてしまうのです。
事の発端になるリリーとセルゲイの関係性も「恋人」という肩書きだけがポンと提示されて、そこからストーリーが動き出す流れ。ふたりがどんな時間を積み重ねてきたのか、どんなふうに互いを思っているのかが見えないまま、ミステリーが始まってしまう。これでは、感情移入する前に、置いてけぼりです。
大きな謎を提示したまま放置状態で意味深長に話が進んでいく。このスタイルは、けっこう独特でした。
難解セリフの虚しさ
俳優陣の演技自体は、すごく良かったと思うんです。
でも、専門用語を重ねたセリフが、まったく響いてこない虚しさがありました。
この「虚しさ」の正体を考えてみたのですが、たぶんこれが私の感じた「巨大な壁」の正体だったのかもしれません。「わからんやつに説明しても無駄」と暗に言われているようで。突き放されたような、そんな虚しさでした。
象徴的だったのが、デヴスの装置が最初に映し出したイエス・キリストのゴルゴダの丘のシーン。デヴスメンバーはそれを見て感動してるんですけど、何も伝わってきません。極秘プロジェクト「デヴス」が何なのかもわからず、経緯も人間関係も示されないまま、突如として「感動シーン」。
単なる絵で終わってしまうのなら、いっそセリフなしで見せてくれたほうが、印象に残ったかもしれないと思うほどでした。
雄弁な黄金の施設
愚痴オンパレードになってしまってますが、意味深長で難解な内容を代弁するかのように、映像美はしっかり魅せてくれました。
その最たるものは、間違いなくあの黄金に輝くデヴスの施設です。
もう、凝ってる。すんごく凝ってる。
そして森の中に忽然と現れる、フォレストの娘の像。あの圧倒的な違和感。一度観たら、忘れられません。第1話であれを初めて観たとき、写真でしか知らない牛久大仏が頭をよぎりましたもの(笑)。
個人的に、森とデヴス施設という対比構造が良かったです。自然の中に、異質な人工物がドーンと存在してる、あのインパクト。
言葉を手放した分、映像がその代わりを引き受けていた感じ。少なくとも「映像で物語を見せたい」意図は伝わってきました。
究極の問い


このドラマの結末は、デジタルなあの世、というか、平行世界のような場所に、フォレストとリリーが辿り着く(記憶がアップロードされる)というものでした。
強制的にその世界に送り込まれたリリーは別として、亡くなった妻と娘を取り戻したフォレストは一見ハッピーエンドに見えました。
でも、深堀り好きな私は考えてしまうのです。
フォレストが望んでいたのは、別世界へ移動するのではなく、同じ時間軸を巻き戻すことだったはず。平行世界論を推すデヴスチームのリンドンを排除したくらいですから。
でも、装置はリンドンの理論を入れたからこそ完成したもの。だとすると、フォレストの前にいるのは別世界の妻と娘。彼の家族その人とは言えないんじゃないかと。
まったく、意地悪な「ねじれ」です。
愛する家族を取り戻したかったフォレストの気持ちは理解できますし、共感もできます。でも、それが起こり得ないことを知ってるからこそ、人は前へ進んでいけるんじゃないかとも思うのです。
いつの日か、目の前の家族が「ほんとうの家族ではない」と感じるようになったとき、フォレストはどうするのでしょう。
一方、強制的にアップロードされたリリーは、また違った感情を抱いているはずです。たとえ、そこが「幸福な世界」だとしても、死に至るまでの人生すべての記憶があるわけですから。
一見、安らぎと穏やかさを印象づけて幕引きされましたが、あの世界に閉じ込められたフォレストとリリーは、じわじわと違和感を覚えるんじゃないかな。そんな気がしてなりません。
まとめ
馴染めず、浸れずな世界観の作品でしたが、ふと気づいたことがあります。
フォレストが作り上げたデヴスは、ある意味、カルトだったのではないか……ということ。
施設の荘厳さ、娘像のスケール感、メンバーだけが理解できる会話。なにより、セルゲイを殺して隠蔽した行為。閉鎖的で、犯罪すら正当化してしまう集団性を思うと、なおさらです。
私が感じた「巨大な壁」も、内輪の教義を共有する者同士だけの言語で進む物語の「壁」だったんだと思えば、妙に腑に落ちる気がします。
わかる人にはわかる。けれど、わたしはたぶん、その輪の中には入れてもらえなかった。
それが正解だとしたら、わからない自分でよかった。そんなふうに納得しつつ、私の感想を終わります。



お読みいただきありがとうございました

