
この記事は感想ひとくちメモのような内容になってます。作品についての考察や深掘りはしておりませんが、ネタバレは含みます。ご了承のうえ、お読みください。
あらすじは・・・
背景にある歴史
アイルランドの暗い歴史がテーマの根底にある。「マグダレン洗濯所」は、カトリック教会が運営し、18世紀から1996年まで「転落した女性」とされた女性たちを収容・搾取した実在の施設。
1985年、アイルランドの小さな町で、愛する妻子と慎ましく暮らす石炭商人のビル。クリスマスも近いある日、石炭を届けに訪れた地元の修道院で、彼はある意外な光景を目の当たりにする。年若くして身ごもった少女たちが修道院に預けられ、保護と更生を名目に過酷な無償労働を強いられていたのだった。「ここから助け出して欲しい」とひとりの少女に懇願された彼は、それを見て見ぬふりをするかどうか、難しい決断を迫られる。
wowowより
評価
IMDb:6.7
ロッテントマト
平均トマトメーター:94%
平均ポップコーンメーター:81%

考えさせられる映画でした
ひとこと感想



重大なネタバレはしていませんが
作品のテーマに触れています
この映画は、先に原作を読んでから鑑賞しました。
原作はクレア・キーガンの『ほんのささやかなこと』(鴻巣友季子訳/早川書房)。
観終わって思ったことは、邦題のタイトル『決断するとき』と、原題の『ほんのささやかなこと』が見事に繋がっているということ。そこにこめられた意味の重さに圧倒される映画でした。
キリアン・マーフィの覚悟
映画『オッペンハイマー』で世界を席巻した後、キリアン・マーフィが選んだのがこの『決断するとき』でした。
彼が演じるビルは、「石炭を運ぶ男」「堅実な妻の夫」「5人の娘の父親」……いわば、普通の人です。
アカデミー賞主演男優賞を獲得した直後に、キリアンが「特別ではない普通の男」の役を選んだ理由は、愛する故郷と向き合うためだったように感じます。
アイルランド出身のキリアンにとって、「マグダレン洗濯所」の歴史は「母国の闇」。 自分の国が長年黙認し、教会とともに隠蔽してきた現実です。
その闇をテーマにした作品に出演するだけでなく、自らプロデューサーまで務めたこと。そこに、彼の「母国の歴史を語る責任」という決意や覚悟を感じました。
……そんなふうに勝手に解釈した私は、背筋を正す思いで鑑賞しました。
良心に従う勇気
この映画は、ビルの物語であると同時に、視聴者である私たちへ「良心に従う勇気」を問う意味がこめられていたように感じてます。
「見て見ぬふりをして我が身を守る」ことは、人は誰しも経験することかもしれません。
いじめ、SNS、身近な人の困りごと。「知ってしまった以上、知らなかったことにはできない」のに、沈黙を選んでしまう。認めたくはないけれど、私も我が身を守ることを優先すると思うのです。
この物語の主人公ビルもまた、妻や知人に「見て見ぬふり」を勧められます。それが厄介事に巻き込まれずに済む賢い選択だから。
でも彼は「賢い選択」はしませんでした。「助けを求める目を見て見ぬふりしたら、自分という人間が嘘になる」から。彼の信仰心が偽善になってしまうから。
たった一人の少女に手を差し伸べただけ。 それだけのことが、彼と家族の人生を変えてしまうかも知れないのも事実。
ビルは家族と少女を天秤にかけたわけではなく、ただ純粋に自分の信仰と倫理観に従っただけ。その「ささやかな勇気」が、どれほど「大きな決断」だったのか。
「あなたならどうしますか?」
この問いは、観終わったいまも、私の中で答えの出ないまま残っています。
手洗いに込められたビルの思い
すごく印象深かったのは、ビルが帰宅してまずする手洗いシーンです。
何度も繰り返されるこのシーン。最初は「石炭で真っ黒になった手を洗う日常のひとこま」に思えました。
でも、何度も繰り返されるうちに、あの手洗いは「外の世界で背負った重荷を、家庭には持ち込まない」というビルなりの家族への愛の儀式のように思えてきました。
手洗いは、外の世界と境界線を引くこと。安らぎの場である家庭を守ること。そんなふうに感じてしまい、あの手洗いひとつに、ビルの家族への深い愛が詰まっているようでした。
でも、修道院で助けを求める少女の存在を知ってからの手洗いは、心の底から沸き上がる葛藤を振り落としてるかのように思えてなりません。
その葛藤の源にあるのは、自身の生い立ちでした。未婚で自分を産んだ母と修道院の少女が重なるビルの葛藤は、想像もできないほど激しいものだったはずです。
自分の人生は、当たり前のものではなく「受け入れ守ってくれた恩人の善意あってこそのもの」。あの少女の苦しみを母も味わったかもしれない。もし自分が修道院で生まれていたとしたら、自分はいま生きているだろうか?
あの単調な手洗いシーンの中にあるはずのビルの「尽きない問い」を想像すると、胸が苦しくなります。
迫真の対決シーン
ビルが修道院長と対峙するシーン。あれは、この映画の最大の見せ場で、山場でもありました。あのシーンには、ビルの人間性や倫理観が端的に表現されていたと思います。
たとえば、家を継ぐ息子がいないことを暗に揶揄された時。ビルは普段と変わりない調子で、でも芯のある言葉で、さらりと切り返します。「誰しも神の子」……その一言に、「人は平等」というビルの信念がにじんでいました。
同じ神を信じているはずなのに、ビルと修道院長の倫理観に違いがあるのはなぜなのか。その理由は、やはり「権力」なのかもしれません。
そして、言わずもがなではありますが、ビルと修道院長を演じるキリアン・マーフィとエミリー・ワトソンが生み出す迫真の緊迫感。圧巻でしたー。
余談になりますが、脳内で「オビワン・ケノービ対ダース・ベイダー」に変換してしまったことを告白いたします。(;´∀`)
まとめ
映画は、マグダレン洗濯所の実態や悲劇を背景にした、ビルという普通の男を通じて倫理観とその勇気を問う物語として終わります。ビル家族と、救出された少女がその後どうなったのかは描かれません。
ビルが下した決断が修道院を変えることはないでしょう。 でも、あの少女にとっては「世界を変える出来事」でした。
たった一人の世界を変えただけ。
だからこそ、原題の「Small Things Like These」
……「ほんのささやかなこと」にこめられた意味の重さを痛感します。



お読みいただきありがとうございました

