
この記事は、管理人しかが作品の世界に浸りながら想像力を広げ、思いをめぐらせながら綴ったものです。素人目線の解釈に基づくため、思い込み、勘違い、間違いなどがあること、あらかじめご了承ください。また、感想はネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。
『ウーマン・イン・ザ・ウォール』全6話
このドラマのキーワード
- アイルランド
- カトリック教会の暗部
- トラウマ
- 母と子の絆
- 犯罪捜査

イントロダクション

作品の導入部分をまとめてみました
背景
2015年、アイルランド
母親の同意なく数千人の子供を連れ去った疑いがある、カトリック教会が運営していた「母子の家」の公開捜査が始まる。
アイルランド西部の町キルキニュア
町の警官いわく「いたって退屈な町」のキルキニュアには、癒えることのない苦しみを抱える女性たちがいる。
女性たちは「母子の家」が併設されていた「修道院」の犠牲者だった。未婚で妊娠した女性だけでなく、単に噂を立てられただけの女性を収容した「修道院」の実態は、「マグダレン洗濯場」と同様の強制労働と虐待の場だった。さらに、「修道院」で産まれた子供は教会に奪われ、母親たちは子供の行方を知ることもできない。
「洗濯場」や「母子の家」の事実があったにもかかわらず、キルキニュアの修道院はあくまで「訓練所」という主張を曲げず、被害者たちはいまなお苦しんでいる。
物語のはじまり
10代の頃、望まぬ妊娠で「修道院」へ送られたローナは深刻なトラウマを抱えながら、キルキニュアの町でひとり孤独に暮らしてる。
出産した娘は「修道院」に奪われ、世話をすることも許されなかった。娘は死んだと言う「修道院」の言葉を信じているローナに、謎の女性から「あなたの子に何があったのか知っている」というメッセージが届く。
そんな中、ダブリンからコールマン・アカンデ刑事がやってくる。コールマンは、遺体で発見されたシーハン神父の消えた車を追ってキルキニュアを訪れていた。コールマンとの出会いはローナの止まった時間を動かし、ふたりは教会の暗部と予想を超えた真実を見つけることになる。
主要人物の背景



主人公はふたり!


ローナ・ブレイディ
(ルース・ウィルソン)
キルキニュアの住人
家族も友人もいない
夢遊病を患う
10代の頃、妊娠したことで「修道院」へ送られる
「修道院」で出産した娘を奪われる
娘は死んだと聞かされている
コールマン・アカンデ
(ダリル・マコーマック)
ダブリンの刑事
遺体が見つかった神父の教区で育つ
「母子の家」から養子になった
養母とは良好な関係


画像出典:IMDb
評価
IMDb:7.2
ロッテントマト
平均トマトメーター:76%
平均ポップコーンメーター:80%



心揺さぶる物語
手に汗握るスリルと謎解き要素もあり
教会の暗部を暴く物語に引き込まれました
『ウーマン・イン・ザ・ウォール』全話まとめて感想



ここからネタバレ全開の感想です
未視聴の方はご了承のうえお読みください
衝撃のテーマ
この作品をチョイスしたきっかけは、「目を覚ましたローナは見知らぬ女の死体を発見するが、夢遊病の彼女はなぜ死体があるのかまったく思い出せない」という謎めいた紹介文と、そのローナ役がルース・ウィルソンというふたつの要素からでした。
しかし、このドラマの本質は「見知らぬ女の死体」云々ではなく、実際にあったカトリック教会による搾取と虐待、さらに非道な人身売買の実態を描く内容だったと言えます。
「修道院」で悲惨な経験をしたローナの生き様や、「見知らぬ女の死体」というミステリアスな要素もありましたが、核にしたテーマはカトリック教会の暗部を暴くことだったと思うのです。
犯罪捜査ドラマかと思っていた私は、カトリック教会の暗部を暴くという想像もしなかった内容に大きな衝撃を受けました。さらに「マグダレン洗濯場」が何であるかも知らなかった私にとって、このドラマはアイルランドの暗い史実を学ぶ場にもなりました。
ルース・ウィルソンの熱演が描くローナの魂
壮絶なストーリーもさることながら、ルース・ウィルソン演じるローナの嵐のような存在感も凄まじかったです。
冒頭のローナが道路の真ん中で目覚めるシーンはインパクト絶大。あの短いシーンで見せたローナの表情は「困惑」だけではない「切実な悲哀」を感じさせ、いっきに物語の深淵へと引き込まれました。


さて、ローナという人ですが、マッシー巡査部長のセリフにあったように、町の住人たちは彼女を「変人」と決めつけ、厄介者扱いしているようでした。夢遊病で町をさまよう彼女を見れば無理のないことかもしれませんが、やはり根っこには「修道院出身者」に対する差別があるように感じます。
これは作中で示唆されたわけではありませんが、「修道院出身者」の苦しみは、そこで受けた仕打ちだけなく、社会復帰後も続く根深い差別にもあるのではないでしょうか。
事実、ローナは「修道院被害者の輪」にも加わらず、孤立してましたよね。家族もおらず、友人もいない。
他者を寄せ付けない頑なな雰囲気がある人ですが、私が彼女から感じたものは、むしろ「生真面目すぎる純粋さ」です。その「生真面目すぎる純粋さ」ゆえに心の奥底に封印した感情が、コントロールできない夢遊病という形で溢れ出ているように思えるのです。


物語の始まりと終わりにローナが朗読する「千の風になって」の詩。あの詩は、そばにいることができなかった娘を見守る風や光になりたいという彼女の願いそのものとして、強く心に響きました。
そんなふうに感じたのは、ローナを演じたルース・ウィルソンの演技のたまものです。表面だけではなく、ローナの魂の慟哭を感じさせる演技は本当に素晴らしかったです。
マグダレン洗濯場という史実
これはドラマについての感想ではないのですが、このドラマで取り上げた「マグダレン洗濯場」や「母子の家」の実態について考えさせられています。
別のドラマになりますが、女性を出産の道具にする『侍女の物語』は創作された架空の物語だという確信を持って視聴しました。でも、この作品で描かれたように、現実の世界にも『侍女の物語』とそう違わない非道な事実があったと知り、空恐ろしい気持ちになりました。
「洗濯場」は実際にあり、そこでの強制労働と虐待は紛れもない事実。ローナのように子供を奪われた女性も数え切れないはずです。このドラマでも触れていましたが、産まれた子供を選別する実態までありました。
このドラマの背景を理解するために検索したところ、「元収容施設(洗濯場)の汚水槽から乳幼児数百人の遺骨が見つかった」という記事も見つけました。


にわかに信じがたい現実に恐怖さえ感じてますが、自分を顧みるチャンスと捉えたいです。「他者には敬意を持って接し、自分がされたら嫌なことを他者にもしない」という単純ながら大切な教訓を心に刻もうと思います。
まとめ
ドラマの感想に戻ると、ラストは希望の光を見せてくれました。
死んだと聞かされていたローナの娘の行方が判明したのです。
教会によって養子に出された(あるいは、寄付という名目で売られた)娘とPCの画面越しに対面するローナの表情は、「修道院」の呪縛から解放された穏やかな優しさをたたえていました。あのシーンは、ローナが救済された瞬間として、涙なしに見ることはできません。
『ウーマン・イン・ザ・ウォール』は暗い歴史を背景にした非常に濃い内容であり、ローナの夢遊病という曖昧な境界も相まって、まるで荒波に浮かぶ小舟のように心が大きく揺さぶられる作品でした。
このドラマは多くの人に見てほしい。そして、何かを感じ取ってほしいと心から願う傑作です。



お読みいただきありがとうございました
